日本の建築技術 6
大聖寺藩初代藩主利治の頃には、大聖寺周辺の那谷寺本堂と華奢な三重塔や小松天満宮が加賀藩の御大工によって建てられていました。
加賀藩直属の「地方遣之大工」の存在や、那谷寺の法印が前掲棟札の筆頭であることから類推して、大聖寺城の居館は、加賀藩直属の大工によってなされた可能性が高いです。
御大工の系譜としては、建仁寺流となるでしょう。
ただし、塚本吉右衛門、国本小兵衛の各前は、加賀藩直属の上級大工の中に見出せないのです。
長流亭は、四方に一間幅の畳の入側を巡らし、入側の内側に腰障子を用意しています。
入側の外側は、西側と北側が腰から鴨居までの障子と突き上げ戸になり、東側が二間の開放された縁と土庇、一間半の二枚の板戸と障子。
一間の二枚の板戸と障子の連続になり、南側が一間半の二枚の板戸と障子二つの連続となって西南の玄関になります。
西側と北側には、腰があります。
しかし、こうした入側の外側と内側のたたずまいは、灯心亭で見た畳の入側のように開放的なものなのです。